事業や組織のステークホルダーからもたらされるアイデアは、すべて機会であると考えています。今まさに、飛躍の機会であると捉えて、実装に向けて動いているアイデアがありますが、そのうちいくつかは、過去組織の中で提言があったものでした。
なぜ、アイデア段階のアウトプットとしては同一であっても、実現するときと、埋もれてしまうときと、分かれるのでしょうか?
イシューではないと認識されている
過去の経験を思い返してみると、それは「そのアイデアによって解決される問題の重要性が低い」と認識されているからだと考えました。
「重要性が低い」を便宜上「イシューではない」と表現しますが、ここでのポイントは「イシューではない」のではなく、「イシューだと認識されていない」事にあります。
イシューではないのであれば、それは実現に向けて動くべきではないアイデアですが、「これが機会だ」と血気盛んに取り組まれるものであれば、埋もれてしまったことは機会損失になります。
※時間の経過による外部環境/内部環境の変化によってイシュー化されるものもあります
では、なぜ「イシューだと認識されない」のでしょうか?
なぜ「イシューだと認識されない」のか
その多くは、アイデアから連想される、”そのアイデアが解く問題” が矮小化されているからだと考えます。
本来、そのアイデアによる解決が意味するものは、重要な問題(イシュー)の一部を解決するものかもしれません。
しかし、アイデアという具体そのものしか伝わらないことで、アイデアを聞いた人の中では連想が十分に働かず、解く問題が小さくなってしまいます。アイデアに紐づく問題意識を添えたとしても、同様の要因で矮小化されてしまうことはあります。
問題の矮小化は、アイデアの聞き手によってもたらされますが、アイデアを提言した本人の言語化が不十分なことも大きな要因となります。(自身がアイデアの出し手であるとき、主な変数は、自分の伝える力になる)
大きな問題に繋げる
ここでは、アイデアという具体案を出発点として、どのように、より大きな問題の解決に繋がるのかを考え、繋げ、論理的に表現していくことが必要です。
そうして、問題を大きくすることで、問題の矮小化と、それに伴うアイデアの埋没を防ぐことができます。また、大きな問題へと繋げていく過程は、問題の全体像を掴む機会にもなります。
また、「イシューだと思わない人」と話してしまっているというケースもありそうです。
人によって、背負っているものが異なり、責任範囲, コミット範囲が異なるため、視野の関係で問題が小さく、もしくは問題として見えないことがあります。
このケースには、そのアイデアが解きうる問題の当時者や、視野が広く大きな問題と繋げやすい人と話すアプローチをとるのがいいのではないかと思います。
マネジメントの機能
ここまで、アイデアを提言する当事者がどうすると良さそうかを書きましたが、マネジメントが果たすべき機能であるとも考えています。
では、マネージャーはアイデアの埋没にどう立ち向かえば良いのでしょうか。
ミドルマネジメントを担うマネージャーの場合、メンバーに比べて組織を跨ぎやすい場合が多いと思います。提言されたアイデアに関心がありそうな、人に適切なパスを出し、大きな問題に繋げていく機会を積極的に作ることが重要ではないでしょうか。
また、マネージャー自身が、メンバーと大きな問題に繋げていく対話をしていくことも重要なことは言うまでもなさそうです。
トップマネジメントは、メンバーやマネージャーが、アイデアという具体を、大きな問題に繋げていくができるよう、全体像や目指す先(ミッション/ビジョン)の共通認識化にコミットすべきだと考えました。
他
このブログで書いてる話とは別ですが、アイデアの実現に向けた推進を妨げる大きなものを2つ置いておきます。
- 予算の欠如
- 予算は意志である
- 不適切な、失敗への恐怖
- 行動の結果、起こりうる失敗に対する恐怖
- 失敗は常に選択肢の一つであり、失敗か成功かというものより大切なものがあります
※スケジュールを含む
失敗は危険だが、危険を伴うリアリティーと成功を夢みるファンタジーの狭間にこそ、多くの選択肢と可能性がある
久保田昇弘(2015). スペキュラティヴ・デザインの今日的意義 アンソニー・ダン&フィオナ・レイビー スペキュラティヴ・デザイン 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社 pp.16
下書きの方が分かりやすいかもなので、ままだけどトグルで置いておきます。ひらけます
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